新人の失敗には「怒る」のではなくて「叱る」ことで得られるメリットがあります。

2020年3月14日

仕事中、部下や新人が何かヘマをしたときに、怒ってくる上司や先輩っていますよね。

僕個人は今の会社に入って、まだ間もありません。

一番下っ端である立ち位置上、先輩から怒られたり、叱られたりすることしかありません。

もし仮に「新人の僕」が社内の誰か他人を怒ったり叱ったりしたとしましょう。

周りの空気が凍り付くこと間違いなしです。

 



そんな僕から、人の上に立っている人たちへのお願いです。

 

部下や後輩が仕事でヘマをしたときは、感情的に怒らないようにしてください。

 

会社の先輩という立ち以上、後輩には何か言いたいことはあるでしょう。

そんな時は叱るように接してあげてください。

 

「怒る」と「叱る」って何が違うの?

もしかしたら「怒る」と「叱る」の違いがいまいちよく分からない人もいるでしょうから、一度確認してみたいと思います。

「怒る」と「叱る」をそれぞれ辞書で調べてみると以下のような意味で掲載されています。

※「『怒る』と『叱る』の意味位わかるわ!」という人は次の目次に飛んでください。

 

【怒る】

[動ラ五(四)]《「起こる」と同語源。感情が高まるところから》
 不満・不快なことがあって、がまんできない気持ちを表す。腹を立てる。いかる。「真っ赤になって―・る」
 よくない言動を強くとがめる。しかる。「へまをして―・られた」
デジタル大辞泉

 

【叱る】

[動ラ五(四)]目下の者の言動のよくない点などを指摘して、強くとがめる。「その本分を忘れた学生を―・る」

デジタル大辞泉

 

いずれも「強くとがめる」ことが共通の概念のようですね。

簡単に言うと、自分本意の方が「怒る」で、相手のことを思いやっている方が「叱る」ということになってくるように思います。

 

 

職場での「叱る」

「叱る」というものは「相手のことを思いやった咎め」であるのです。

職場においては「部下のミスに対してしっかりと何が分からなかったのかを確認するようにとがめること」が「叱る」の本質であるように思います。

 

このため、ただただ部下の失敗に対して「これはダメでしょ!」「ふざけんなよ!」「ちゃんとやれよ!」とだけ言って終わらせてしまっているようであれば・・・。

それは叱っているのではなく、ただ先輩本人が怒っているだけですね。

感情をぶちかましているだけです。

 

 

「叱る」と「怒る」の見分け方

「叱る」は言われる側の視点で、「怒る」は言う側の視点であると考えるとしっくりきますでしょうか。

ちょっと難しいでしょうが、冷静に考えてみると分かると思います。

 

言う側の一方的な感情論=「怒る」

例えば先ほど怒っている人の例として挙げた言葉たち。

「これはダメでしょ!」「ふざけんなよ!」「ちゃんとやれよ!」というものを例に挙げましたよね。

 

この中の「ふざけんなよ!」という言葉。

先輩から圧を掛けられている後輩本人としては、ふざけていないかもしれません。

 

確かに、もしかしたら遊び半分でふざけて仕事をしてしまった。

その結果、ヘマを起こしてしまって先輩を感情的にさせてしまっている場合もあるでしょう。

 

ですがほとんどの正社員ならそれなりに真面目に仕事をやっているはず。

それなのにも関わらず先輩を感情的にさせてしまっているという場合も多いものです。

そんな場合は、後輩本人としては「ふざけていない」はずです。

それなのにも関わらず、先輩からは「ふざけんなよ!」と強くとがめられてしまいます。

 

これではコミュニケーションになっていないですよね。

「ふざけていないんだから、ふざけるな!なんて言われる筋合いはない!」

怒られてしまった後輩本人としてはそんな気持ちが芽生えてしまっていることでしょう。

 

ちょっと回り道になりました・・・。

「叱る」と「怒る」の見分け方とは「強く言った発言内容が、相手にちゃんと届くものか否か」だと言えるでしょう。

 

見方を変えれば、強く発言する側が「冷静さを保てているか否か」も一つのポイントかもしれません。

が、それが全てではないと思います。

 

 



部下を「怒る」と、良好な人間関係が作れない

部下を叱るのではなく怒りつけてしまうと、その部下と先輩は良好な人間関係を保つことができなくなってしまいます。

 

人間もやはり動物(ほ乳類)です。

DNAには太古の昔に集団生活をしていた時のシステムの名残がまだ残っている様子。

 

例えば誰かの強い発言を受けてしまうと、それを「危険のシグナル」であると感じてしまいます。

すると、自然と体が「防御態勢」を取り出そうとしてしまいます。

これは無意識レベルの行動です。

 

誰かに叱咤されたときに、まれになんだか全身の毛穴が逆立ったような感覚がするときがありませんか。

それですね。

そのシステムは、まだ狩猟採集を行っていた時代には「危険を感知する防御システム」ということで、生存していくために大いに役にたっていたようです。

 

ですが時はすでに令和。

そのようなシステムのおかげとも言うべきなのか、人は理不尽に怒られることでその発言者を「脅威」であると感じてしまうようです。

頭では「脅威ではない」と理解していても、「自律神経」はそうは思わないようです。

意識とは無関係に指令を伝達させる神経の事ですね。

そのような関係を続けていくと、最悪怒られた側の自律神経が制御不能になってしまうでしょう。

 

 

「怒る」ことは、何も問題を改善させない

何かの問題解決のために部下を怒っても、何かを解決させることは難しいでしょう。

そもそも理不尽にも「怒る」こととは、「制御しきれない感情」を周囲にある何かにぶちまけるものです。

つまり怒っている人とは感情を制御することが下手な人ということになります。

 

もしも職場にそういう人がいるのであれば、ある意味ではその人は仕事に対してストイックに向き合っているということが言えるのかもしれません。

仕事に対して強いプライドを持っており、少しの乱れも許すことができないのです。

 

ですが、例えば他の誰か(部下)の失敗でその人の仕事のペースが乱れて、その人が怒りだしたとしたら・・・。

本来であればその怒りはその部下に対して向けるべきではないと思います。

 

そもそも「乱された」という感覚は、その人が自分の個人プレーに走っていることになります。

その個人プレーの狂いを、そのヘマをこいた部下にぶつけたとしても、当の部下本人としては何の解決策も提示できません。

 

「乱された」ことは事実としてありますが、怒りそのものが個人プレーに走っていた先輩本人の心の中にあるためです。

「感情」としては受け止めることはできるが、「解決策」を提示することはできません。

 



「上手な叱り」で得られるメリット

「怒られる」ことでは何もいいことはありませんが、もしも「叱られる」のであればそれなりのメリットを享受することができます。

 

 


人間関係が深まる

上手に後輩を叱ることができれば、先輩と後輩との人間関係が深まります

そもそも「叱る」ことが「後輩の気持ちを考えた上で強く言うこと」を意味しているのですから、当然です。

後輩の気持ちに寄り添って、何が理由で失敗したのかを一緒になって考えて、それで強く言える。

それが「上手な叱り」ですね。

 

 

「怒り」だけでは距離が離れる

もしもこれが先輩の怒りで終わってしまうようであれば、その先輩は後輩から距離を置かれます。

人間関係が悪くなってしまうのです。

 

 


後輩が組織に対して尽くしたくなってくる

先輩から上手に叱られることで、後輩は仕事に対して前向きになることができます

自分のことを分かってくれている先輩にし対しては、やはり一生懸命になりたくなるものが「組織における後輩」というものだと思います。

 

組織以外でも、心の通い合った友人や恋人、プライベートの人間関係だって同じことが言えますよね。

相手からしっかりと思いやりを感じるようであれば、それなりに報いたくなってくるじゃありませんか。

人間の本質的な習性だと思います。

 

 

僕の現職の先輩は、叱るのが下手

ちなみに僕は職場の先輩が叱るのが非常に下手なので、仕事に対して前向きになれません。(笑)

見ていると先輩たちも、さらに上の先輩たちからまともに叱られたことが無さそうなんですよね。

 

また、先輩たちは常に自分たちの視点でしか物事を考えられていない様です。

ガチホワイト企業の経験は僕は今の会社のみですが、僕は「これが『ホワイト企業病』なのかなぁ~」なんて勝手に分析しています。

 

ちょっと話がそれました。

とにかく下の人間が組織に尽くしたくさせる効力が、「上手な叱り」にはあるのです。

それはつまり、会社の結束力であったり、社風であったりが「上手な叱り」で決まるものである、ということでもあるのです。