他人や制度に期待をしてはいけないたった一つの理由! 期待をしても失望がおおきくなるだけです!

「他人」や「何かの国の制度」などを当てにすることはよくありません。

期待をしても、失望が大きくなるだけです。

他人や何かの制度に期待することはやめて、なるべく全てを自己責任にして生きていきましょう。

その方が絶対にいいです。

 



他人や制度に期待をしてはいけないたった一つの理由

他人や制度に期待をしてはいけない理由・・・。

それは何かというと「自分」ではないからです。

他者であるからです。

 

「自分」ではないから

他人や何かの制度は、あなた自身ではありません。

それがつまりは何を意味するのかというと、結局のところ何かの不都合が生じても「いや、でも俺(私)は関係ないし」と言われて終わってしまうわけです。

何かの法的な契約を結んでいたりするのであれば、それに見合うだけの責任を取らせることはできるでしょう。

ですがそれ以外の場合は、基本は「関係ないし」と言われてしまい、終わりです。

 

人間関係は意外とドライ

その人の性格や出会った場所にもよるでしょうが、基本的には大人になってから始まるような人間関係はドライになりがちです。

昔からの友人などでは、10代の青春を共に過ごしたという間柄でもあるため、深い人間関係を築くこともできると思います。

ですが大人になってからだと、基本的には仕事を通じて知り合った仲であったりするため、なかなか昔のようにいかなくなります。

結果としてドライな人間関係になりがちなのです。

 

責任をとってくれない

他人や何かの制度は、基本的には他者であるため、責任をとってくれません。

例えば会社で部下に期待をしている上司がいたとします。

上司は部下に期待をしていろいろと仕事を教え込むのですが、部下はある日突然仕事を辞めてしまいました。

上司としては部下に大いに期待をして、いろいろと投資をしてきたわけなのです。

いろいろ部下に追及をしたいところかもしれません。

ですが辞めてしまった部下本人には上司に詫びる責任はありませんよね。

辞めるのは部下本人の自由ですから。

 

昔からの友人も「他人」

先ほど、「人間関係は意外とドライ」という話をさせていただきました。

「昔からの友人などとは比較的深い人間関係を築けている」という旨のお話を致しました。

しかしそんな友人も、結局は他人であることに変わり有りません。

必要以上に期待したり信用したりしすると、それが重圧となったときに「関係ないから」と言われて切られてしまいます。

「親しい中にも礼儀あり」とは言いますよね。

 

忘れがちだが、家族も「他人」

また「家族」も他人であることを忘れないでください。

「家族」と言う別ジャンルに切り分けたとしても、あなた自身ではないので「他人」であることに変わりはないのです。

家族であっても期待しすぎてはいけません。

子供に「いつ結婚するんだ!」なんてグイグイ聞いてしまっては、僕が親に返すみたいに「うるさい!」と言われてしまうでしょう。

つい子供には期待をしてしまうと思います。

ですが、期待通りに行動しなかったからといって、突っ込みにいくのはNGです。

 



裏切ることについて

「裏切る」という言葉は非常に難しい言葉であるように思います。

「裏切る」を辞書で調べてみると、以下のような意味で出てきます。

 

 【裏切る】

[動ラ五(四)]

 味方に背いて敵方につく。「同志を―・る」

約束・信義・期待などに反する。「信頼を―・る」「おおかたの予想を―・る」

デジタル大辞泉

 

この意味を見ていただいた分かるように、「裏切る」という言葉が使われるときには、登場人物が複数人出てきます。

自分の他にも誰かがいて、その人との関係性が悪い方向に乱れたときに「裏切る」という言葉が使われるようですね。

 

期待するから「裏切られた」と感じてしまう

つまりは初めから他人に期待をしなければ、「裏切られた」という感情にはならなくなります。

 

他人や制度に、一方的な期待をするな

基本的に、他人は自分の期待通りに動いてくれないと思った方がいいでしょう。

 

例えば上司が部下に「●●くんには期待している!」と一方的に期待をしてしまうと、もしも達成できなかったときに憎悪の感情が発生しやすくなってしまいます。

上司はストレスを感じてしまい、部下との関係も悪くなってしまいます。

 

制度に対しても同じですね。

ちょっと前に話題になった「老後3000万円必要」問題がいい例です。

多くのサラリーマンが毎月の給料から年金代が天引きされているわけですが、それなのにも関わらず「老後に支給される年金だけだと足りないから、自分でなんとかしてくれ!」と国が言いました。

そのことに対して、一部の国民から不満が爆発したものです。

国に期待していたために「国に裏切られた!」と感じてしまい、その結果としてあのようになってしまったのです。

 

結局は自己責任

年金問題によく表れていると思うのですが、このような問題は「結局は自己責任だ」と言われて終わってしまいます。

確かに年金を収めることは半ば義務みたいなものかもしれませんが、「年金ばかりに頼らなければいけない」というものではありません。

必要があれば自分で蓄えておくことができたはずです。

自分で蓄えておくことが許されていたにも関わらず、やらなかった。

そのことで文句を言うのであれば、国にではなく自分に向けるべきなのです。

 



期待をすると失望が大きくなるだけ

他人や制度に期待をすると、基本的には失望が大きくなるだけです

なぜならば、他人や制度は、自分が期待した通りの結果をもたらしてくれることが少ないからです。

基本的に期待を「悪い意味」で裏切ってくれるのです。

 

自分で自分の首を絞めることに

「期待」とは、他人や制度からの見返りのハードルを、自分で勝手に上げてしまうことでもあります。

「他人や制度からは、自分はこれだけの良いことをしてもらえるだろう!」と。

ですが、それは結果として自分の首をしめることになる場合が多いです。

 

他人や制度は「サービス業」ではない

サービス業などの商売では、お客の期待以上のことをやれば売り上げアップにもつながるため、「期待」は良いことになるかもしれません。

しかし「個人間」や売り上げなどが全く関係のない「役所仕事」には、それを求めるのはナンセンスです。

売り上げアップなどを目標としていないため、必要以上のことは還さないのが基本だからです。

 

好意につけこまない

もしかしたら個人間の場合は、相手方の好意によって、期待以上のものが得られる場合もあるかもしれません。

しかしそれはあくまで「好意」です。

それを当たり前だと思ってしまうと、その時からその人との間柄は険悪になってしまうでしょう。

好意を当たり前だと思わないことです。