好きな事ができないような日々を送ってしまっているのであれば考え直すべき! その理由!

みなさんは「好きなこと」を行えているでしょうか。

好きなことを行えないような日々が続いてしまうことは、非常に悲しいことであると僕は思っています。

 

今回の記事では、「もしも『好きなことを行うこと』ができていない日々を送っており、何か悶々としたものを感じているようであるならば、毎日の過ごし方を考えなおすべき!」というテーマについて、僕の考えていることをお話していきたいと思います。

 



人生は好きなことを、やりたいことをやった者が勝ち

僕は10代の頃に、たまに「生きる意味、目的とは何か」ということ考えていたことがあります。

かといって、様々な哲学書に手を伸ばしたりしたわけでもなかったのですが、自分なりに自問自答し、現在では一つの答えにたどり着けています。

それは何かというと、「人生の目的とは『好きなこと』や『やりたいこと』をたくさんやっていくこと」ということです。

 

自分が納得のいく生き方を!

「好きなこと」や「やりたいこと」をやっていくことが生きる意味であると考えている僕ですから、とにかく自分に納得のいくような生き方をしていけるようにしたいと考えております。

他人から、特に親から言われた「こう生きるべき」論というものも、未だに根強く僕の中には残ってはいますが、自分が納得できていないことも多いので、そういうものは今では無視するようにしています。

 

いい会社に入って、給料をたくさんもらうこと

僕の親は、初めは美大入学に反対でした。

理由は「大企業に入って、高級取りになる可能性が低まるから」というもの。

確かに、大手広告代理店などには入れる可能性は僅かながらにはありかもしれないものの、通常の4年生大学と比べると薄いですよね。

ですが、当時の10代の僕は、そこまでお金を持つということに対して魅力を感じておりませんでした。

それなりの生活費と、プラスアルファで遊べるお金さえ稼げればいいと考えておりました。

自由な時間も捨てることができません。

できればずっと家にいたいです。

いい会社に入ると、確かにお金は貰えるかもしれませんが、家にいる時間が無くなってしまうのではないかという心配が、就業経験のなかった自分の中にありました。

そういう生活には魅力を感じませんでした。

むしろ嫌悪感を示してしまう程です。

 

結婚して幸せな家庭を築くこと

結婚して幸せな家庭を築いていくということも、僕は親から期待されていました。

もしかしたら今でも期待をしてくれているのかもしれません。

何かの折に実家に帰るたびに、親からは「いつ結婚するんだ」なんてことを言われるものです。

ですが僕は、結婚とは「したくなった時」に、「する相手がいた場合」に、するものであると思っております。

「結婚」を目的として設定して、その目的を達成させるためになんとか相手を探して、なんとか結婚にこぎつけたところで、結婚した本人たちからすれば本当の幸せではないように思います。

親たちを満足させるために、「結婚」という自分の人生の大部分を犠牲にしているように思います。

もしも自分の人生の今後の大半を、親の満足心のために全て犠牲に捧げてもいいということであれば、頑張って結婚相手を見つけて、自分自身に嘘をついて結婚にこぎついてみてもいいかと思います。

しかし僕はそういう結婚方法は嫌です。

 

些細な幸福感で十分

生きる意味とは、本人が日常的に感じる「些細な幸福感」の積み重ねにあると思います。

 

おしいものを食べたい

おそらくは多くの人が、お腹がすくと何かを食べたくなります。

その時に、できればおいしいものを食べたい!と感じる事でしょう。

この時においしいもの食べることができれば、その瞬間に人は幸福を感じることができると思います。

夏場に喉が渇いたから、冷たいビールを飲みたい。

結局のところは、幸福の根源とはそのようなものにあるのだと思います。

 

好きな人といれば幸せも増す

先ほどの結婚の項目ともリンクしてくるかもしれませんが、人間は好きな人といるとより幸福感を感じますよね。

好きな人と一緒に食べる食事というものも、より一層おいしいものであるかのように感じるため、幸福感も増してくるでしょう。

ここでいう「好きな人」とは、何も異性のことばかりではありません。

同性の友人であったり、組織の先輩や後輩であったり、さまざまな存在を想定しております。

自分が一緒にいるだけで刺激を感じるような人たちが増えれば、それだけで些細な幸福感は増幅します。

 

歴史的な偉業を行う必要はない

歴史的な偉業を、頑張って行うことはないと思います。

人生の目的と聞くと、何か大きいことを成し遂げなければいけないと感じてしまうこともあります。

ですが、そもそも歴史に名を遺すようなことをするために、すべての人間がこの世に生まれてきているわけがありませんよね。

すべての人間が歴史的な人生を歩みまくっていたら、毎日が激動すぎて付いていけなくなります。

 

ただ、歴史的な偉業を成し遂げるために、日々情熱を燃やし続けることは生き甲斐にも繋がってくる場合もあるので、その点に関しては良いと思います。

しかし成し遂げられるまでは、悶々とした日々を送ることを強いられてしまうでしょう。

また、最終的に偉業に成功することができればいいのですが、ほとんどの人たちが歴史に名を残すことに失敗しております。

もしも「何かの偉業を遂げて、未来永劫語り継がれるような存在になりたいんだ!」という感情があるようでしたら、せめて身内のコミュニティ内での存在感を高めていくようにした方が、よっぽど現実的に生きていけると思います。

 

自分の人生は、自分で決める

いろんなお話をさせていただきましたが、結局はこの考え方に集約されてしまうのではないでしょうか。

「自分の人生は、自分で決める」。

親から「良い会社に入ってたくさん稼ぎなさい」と言われたり、「結婚して子供を産んで、幸せな家庭を築いていきなさい」と言われたところで、自分がそういった生き方を幸せに感じていないのであれば、それは幸せではないのです。

幸せではないのにも関わらず、「親が、他人がこう言っていた、だから納得いかないけどそうしている」とか思って生きてしまうと、その時点からあなたは自分の人生を生きることを止めて、他人に人生の一部を生きてしまいます。

人生を生きていく上では、自分の「納得」は必須です。

 

納得がいくまで質問しまくる

親などから言われた生き方であっても、疑問を感じたのであれば納得がいくまで質問をしてみてください。

納得がいく回答があれば、生き方の一つとして採用してみるようにしましょう。

納得の行く回答がなかったり、感情論で返されたりしてしまったら、そこには答えはありません。

 



人生に納得の行く選択肢を!

生きていくためには、人生を進めていかなくてはなりません。

人生自体は、目の前のことを黙々とこなしていっても進んでいきますし、自分から「こうたい、ああしたい」と積極的に動いていっても進んでいきます。

楽なのは前者だと思います。

ですが納得がいく人生を送ることができるのは、後者の方にあると僕は思っております。

 

人生とは、選択の連続

「楽な人生」か「自分から動きかける人生」か。

人生とは、結局は選択の連続ごとであると思います。

生き方についての選択もそうですし、例えばコンビニでこの商品を「買うか」or「買わないか」だってそうですよね。

明日は7時に起きるか、それよりも早く起きるか。

夕食はカレーを食べるかハンバーグを食べるか・・・。

細かいところまで見ていけば、実に僕たちは選択肢の中で生きていることに気が付きます。

 

選択をすると充実する

受け身でいるよりも、自分から選択をしていくような姿勢をとり続けていると、人生が充実していきます。

選択をするということは、選択肢に対して少なからず興味を持っているということですよね。

人間とは、心が動いている時に悦びを感じるような生き物です。

些細なことであれ、選択をすることで心が喜ぶのです。

定食屋でメニューを眺めているときでも、今回は何にしようか迷っている時って、なんだかんだ楽しくないですか?

 

人生を再選択する方法

自分から人生を選択していくと、人生が充実していきますね。

生きる喜びというものを感じやすくなるのは、先ほどお話した通りです。

些細な事でも悦びを感じてしまうわけですが、ここでもっと大きなことに目を向けてみたいと思います。

すなわち、「就職」と「結婚」です。

 

就職を自分で再選択することの重要性

就職というものは、早い人は10代の終わりから、遅い人でも20代の半ば以降くらいから、毎日の大半を占めるようなものになると思います。

正直、学校の周りの同期達が一斉に就職活動を始めだしてしまい、学校側も就職活動を煽ったりしてきたため、納得のいく就活結果を得られなかったという思いを抱いている人たちも多くいらっしゃるのではないかと思います。

「もしも納得の行く結果が得られなかったのであれば、思い切って再び就職活動をやってみてしまえばいいのでは?」というものが僕の考えですね。

社会に出て数年であれば「第二新卒」という席が用意されてもいるようですし、また第二新卒以降でも、僕のように納得の行くまで活動を繰り返すことは正直言って可能です。

よくも悪くも、僕は僕なりに、社会と言うもののがどういったものであるのかを認識することができたので、納得をすることができました。

職を変えまくって、本当に良かったと思います。

 

結婚の良し悪しはプライベートにおける生活の質を左右する

正直、僕はまだ結婚をしたことが無いので、僕自身の経験としてはよくわかりません。

このため全て他人の体験談ということになってしまうのですが、いずれの家庭においても共通していることとして見えてくるものが、結婚をすると自由な時間が減ってしまうということです。

愛する人との時間が増えることはいいことなのかもしれませんが、現在の僕においては結婚まで話を発展させることができるような感情になれる女性がいないため、どうしてもそのようなメリット面をいいものであると受け取ることが難しいです。

現状の僕にとっては、例えば3DCGの制作時間や、ブログの執筆時間が、結婚によって減少してしまうというデメリット面の方が強く出てしまう訳です。

そういったデメリット面を感じさせないほどに情熱的になれるような女性とではないと、僕は結婚できないように思います。

また同じように、パートナーからの強い束縛に嫌気を感じている人も、その人との結婚が向いていなかった可能性があります。

職を変えるよりもパートナーを変えることの方が、現在では難しいと思いますが、離婚することも時によっては必要なのではないかと思います。