まじめに働くと損をする? ゆるく適当に働くべき2つの理由!

みなさん、まじめに働いていますか。

まじめに働くことは良いことである、という固定観念が日本社会には広がっているように思いますが、僕は以前からその考え方に疑問を感じておりました。

そしてとうとう現在勤めているホワイト企業で労働したことにより、「まじめに働くこと」は「損をすること」であることを確信しました。

 

もしもあなたが今の勤務について何か息苦しさを感じているのであれば、ちょっと力を抜いて、なにも「まじめに働かなくてもいいんだ」ということを意識してみてもいいのではないかと思います。

「まじめに働かなくてもいいんだ」と思うだけで、だいぶ気が楽になるはずです。

 



なぜ日本人はまじめに働くのか

僕は海外で労働したことが無いのでよく分かりませんが、旅行でならば海外の労働の現場を目撃したことがあります。

 

フランスの港町の売店の店員の態度

例えばフランス。

ちょっと正確な場所がどこだったのかは忘れましたが、確かモン・サン・ミッシェルを観光した日の夕方、近くの港町っぽいところこに宿泊をした時のことです。

小腹が空いたのでお菓子や飲み物などを買いに近くにあった日本でいうコンビニとスーパーを足して2で割ったようなところに行きました。

「まいばすけっと」みたいな感じでしょうかね。

店内のつくりは海外っぽいビビッドな色彩の内装で、フランスとは言え内装はやはり海外だなぁと感じたわけだったのですが、店員の様子も海外でした。

店員が肘を立ててボケーっとしているのです。

その様子を見て異国であることを実感して嬉しかったことを今でも覚えております。

また飲み物の売り場がよく分からなかったのでノリで近くにいた店員に聞いてみたところ、すごくめんどくさそうな顔をされて適当な場所を案内されました。

日本だと中々お目にかかれない対応ですね。

一緒にいた僕の友人は、笑いながら「話にならん(笑)」と言っていました。

まぁむこうはフランス語ですから、そりゃそうでしょうがね。(笑)

 

スペインのファストフード店の店員の態度

またスペインに旅行に行った時にも店員のクレイジーな対応を楽しませてもらいました。

確かマドリードのマクドナルドか何かの店だったと思います。

そのとき行きたい美術館があって、どっちの方角であるかを教えてもらいたかったのですが、言葉が通じずに「多分あっち」みたいな感じで適当に教えてもらいました。

その時の店員の表情が非常に印象的で両方の眉毛を思いっきり上に上げて、目をかっぴらいたような表情で、横にいた同僚に「何言ってんだこいつ」といった表情をしておりました。

日本の場合だと、店員が非常に困り果てて、拙かったとしても頑張って英語で意思の疎通を図ろうと店員側が客のために頑張ります。

しかしスペインの、すくなくともこの店では言葉が通じなかった場合は「何言ってんだこいつ」という態度を示してきます。

 

スパイス屋のインド人の態度

日本国内においても、そのような文化が根付いている場所であれば結構適当に接客してきます。

例えば東京23区内某所にあるインド人街。

ピンとくる方にはピンとくるだろうと思います。

そこに以前スパイスを買いに行ったとき、レジのカウンターにはインド人が座っており、「ハロー!」と挨拶をしてくれました。

しかし彼の視線は、一瞬僕を向いた後は彼の席に置いてあるノートPC内で流れているYouTubeの動画にくぎ付け。

その動画では、何やらインド人っぽい人が歌やダンスをしていました。

もちろんスパイスについて分からないことがあった場合は、質問すれば丁寧に教えてくれます。

しかしそういうタイミングでもない限りは常にYouTubeで暇をつぶしているような、そんな具合でした。

 

日本人の場合

日本人が日本国内で客にそのような態度を示してしまった場合は、間違いなくクレームの対象になってしまうでしょう。

僕もアルバイトでレジ打ちなんかを経験したことがありますが、適当にグダグダ打ったり、言ってることがよく分からない客を小ばかにするような真似は絶対にできませんよね。

僕個人であればしたくもなってしまうのですが、労働する身としては謎の協調圧力的なものが労働の現場にあるため、実行に移すことができません。

 



職場と自分との「空気感」

僕はまじめに働こうとすると息苦しくなってしまって、毎日が疲れてしまいます。

それは例えホワイト企業だろうがブラック企業だろうが、変わらずに同様ですね。

むしろこのあたりのことを考えるとブラック企業よりもホワイト企業の方が若干息苦しさを感じるかもしれません。

特に年功序列のホワイト企業ほどその傾向があるように感じます。

ブラック企業の方がまだ息苦しさを感じにくいということです。

 

基本的にホワイト企業は人が辞めにくいので、人の入れ替わりがありません。

対するブラック企業は人が頻繁に入れ替わります。

これが一体何を意味するのかと言いますと、ホワイト企業は人が入れ替わらないため、「社風が膠着化しやすい」ということです。

社風が膠着化しやすいということは、職場の雰囲気、性格などが膠着してしまうということを意味してします。

一見すると良いことのように聞こえます。

しかし不思議なことに、人間はこうったあいまいな表現は自分の都合のいいことのように捉えたがります。

確かに自分と会う社風で膠着すればいいのですが、そうならない場合の方が非常に多いです。

まず、そのことをご理解ください。

 

そして社風の膠着とは、つまりは組織として非常に強くて濃い個性、雰囲気が形作られてしまうわけです。

つまり新しく入社してきた人間は、この組織に自らを合わせていくことを強いられてしまうのです。

もっともどの職場にでも新人がその職場に合わせなければいけないという部分はあると思います。

日本には「郷に入れば郷に従え」という言葉もありますからね。

しかしホワイト企業のような人が中々辞めないような「閉ざされた職場」の場合は、閉ざされていればいるほどこの傾向が非常に強まってしまうのです。

つまり組織的な雰囲気や性格が非常に濃くて強いため、自分の性格等が遠い位置にいた場合は、全力でそれを合わせにかからないといけなくなってしまうのです。

この点に関しては人が定期的に辞めるブラック企業の方がやりやすかったりするでしょう。

 

僕が実際に労働したことのない職場なので、参考になるかは分かりませんが、市役所などの役場はまさにこのような「閉ざされた職場」の典型だと思います。

毎日同じことを、同じメンバーと繰り返していく。

ただし市役所の場合は、何年かごとに異動がありますし、新しい人も定期的に採用したりするようなので、まだマシだと思います。

 

本当にきついのは僕の今いるような、10年以上ぶりに新人を採用するような中小企業ですね。

言ってしまえば10年以上同じメンバーでやってきたため、社風というか雰囲気というか、この辺りが出来上がっていて固まってしまっています。

こうなっていくと新人が自身のキャラクターや個性を捨てて、まずは組織の空気感に自分を合わせていく必要が自然と求められてしまいます。

仕事の方も、行ってしまえば一つ上の先輩ですら入社13年目とかになってくるため、新人にとって頑張ってこなしてきた仕事であっても、本気で「できて当たり前」と思っている節が出てきます。

しかしホワイト企業であるため、わざとらしく「すごいね」というお言葉を頂くことはあるでしょうが。

まぁある意味では仕事を「適当に」こなしやすい環境なのかもしれません。

しかし組織になじむためには「郷に従う」必要があるわけです。自分の将来や出世のために、自分の個性やキャラクターを封印して、偽ることが自然と求められてしまいます。

 

組織に合わせて自分を偽るとストレスが溜まる

ですが、組織の空気に合わせようとして、自分の個性やキャラクターを偽って毎日を過ごすことは、非常にストレスがたまります。

本来が大胆な性格であれば大胆に、繊細な性格であれば繊細に、毎日をこなしていきたい訳です。

途中で僕の職場の説明になってしまって申し訳ないところでしたが、とにかく新しく入社してきた人が「10年間価値観を共有している人たち」に囲まれてしまうと、よくも悪くも企業の価値観に染まっていってしまいます。

そうしているうちに、自分の個性やキャラクターも知らぬ間に染まっていってしまうでしょう。

 

そして大抵の場合は、特にホワイト企業の場合は、あかの他人同士が何十年も同じ屋根の下で、時には協力したり、時には責任を押し付けたりして過ごしているわけですから自然と空気が澱んでいきます。

つまりは新人の者も、この澱んだ空気に染まっていってしまいます。

 

そんな空気の中で責任感を持って働こうとすると、軽い鬱状態のような症状に陥ってしまうのではないでしょうか。

「学習性無力感」という心理学の言葉がありますが、それに近いものを発症してしまうんじゃないかなと思います。

はたから見た場合に、ちょうど役所の窓口の事務員たちに漂っている空気感ですね。

あんな空気感の中で責任を持って働くのであれば、「適当に働いてしまえ!」というのが僕の考えです。

この意味では、多少ブラックであったとして「感情を出せるような職場」の方がまだ健全的に過ごせると思います。

 



まじめに働くと損をする、適当に働くべき2つの理由

なぜ真面目に働くと損をするのか。

なぜ「適当に働くべき」であるかを、今回は2つの理由を考えていきたいと思います。

 

1:負の「空気感」の切り離し

まず適当に働くことで、「職場の空気」と「自分の個性」を切り離すことができます。

 

職場の澱んだ空気と自分を一体化させてしまうと、職場に漂う負の雰囲気に自分も毒されてしまいます。

そのときの毒はタイムカードを切ったあとも、私生活にも影響を及ぼしてくるため、はやめに切り離しておくのが良いと思います。

もちろん「会社のそういう重苦しい空気が自分に合っている!」とかであれば、そうする必要性はありません。

あなたが仕事に対して、もしも何かの息苦しさを感じているのであれば、それは職場の雰囲気が息苦しくて、その空気に自分が合わないでいる可能性が高いと思います。

今回何度も説明したようにホワイト企業では人が入れ替わらないため、ある特定のカラーの空気が生み出されやすい環境にあります。

そしてそうして出来上がった空気が自然に変わることはほとんどないと思っていいと思います。

であれば、一度職場に変な空気感が出てきているようであれば、早めに自分を変えるしかないわけですね。

それは自分の「考え方」かもしませんし、自分のおかれている「環境」かもしれません。

 

このことを念頭に置いて僕は適当に働くようにしてみたんですが、肩の荷が若干降りて、素の自分も若干ですが感じられるようになりました。

結果として、まじめに働いていた頃よりも、だいぶ毎日が楽になりました。

ストレスフリーに近づけます。

 

2:期待できない「出世」と「昇給」

ホワイト企業の場合は年功序列で昇給していく組織が多いように思います。

年功序列であれば、いくらまじめに働いたところで自分には何の利益も来ません。

評価されるのは「勤続年数」のみで、むしろ頑張って売り上げを出しても会社の役員に搾取されるだけです。

 

一方で組織の同僚とは、無意味に頑張っている人同士で「共依存」という関係性へと発展していくように思います。

なにか難しいことが生じたときに「あいつに任せればなんとかなる」という状態になってしまって、同じ給料なのにも関わらず責任だけが重大になっていたなんていうこともあり得てしまいます。

 

会社としての年功序列の色が強ければ強いほど、仕事で結果を出しても会社からは評価されないのですが、同僚からの無意味な評価だけは上がっていくのですね。

それがいいのか悪いのかは考えどころです。

僕の場合は「同僚から評価されても、給料が上がらないんだったら意味ないじゃん」と思ってしまうタイプなので、非常に魅力的に感じません。

 



まとめ

日本人は他の国の人たちと比較すると、僕の感覚としては「まじめ」すぎると思います。

確かにそのまじめさがあったからこそ、今の豊かな日本ができていることは事実としては1つあるでしょう。

しかし、自分の精神をすり減らしてまで「まじめ」になる必要はあるのでしょうか。

僕はないと思います。

 

閉鎖的で年功序列だからこそ、古くて悪い習慣というものもより強く感じてしまう毎日に身を置いている僕です。

会社のためにも働いているのかもしれませんが、働く一番の目的は自分が生きていくためです。

あかの他人である経営者や先輩や上司が心地よく生きていくことに貢献したい人はすればいいと思います。

しかし僕は嫌です。

嫌な人は今回お話したことを、ぜひ覚えてくようにしてください。

 

●今回のまとめ

会社でまじめに働くと損をすることが多い

1:ストレスが溜まる

2:他人にこき使われる

以上二つが、典型的な「損」

海外では、先進国でも適当に働いている人がいる国がある。

日本にはびこる「サラリーマン=まじめに働くもの」という暗黙の固定観念には、疑問が生じる。