満員電車に乗ると性格が悪くなる! 運も悪くなり、不幸の連鎖が始まれば、精神は蝕まれる!?
満員電車に乗ると性格が悪くなるように思います。
ただ「性格が悪くなります!」といきなり言われても、漠然とし過ぎていていまいちピンとこないかもしれませんね。
もう少々詳しく説明すると致しますと、満員電車を利用する日常生活を送り出すことで、些細な事にも敏感に反応するようになってしまいます。
その結果として、トラブルを起こしてしまう確立が上がってしまうのです。
そんな毎日が継続してしまえば、あなたの内面を形作っている「性格」にも多かれ少なかれ影響が及んでしまうことも考えられるように思います。
満員電車に乗り続けることは「不幸」の始まり
満員電車に乗るような日常を送り出してしまうと、その瞬間から不幸が始まってしまうことでしょう。
ただ、必ずしもそうなるかと言われればそういう訳ではありません。
不幸にハマっていく過程には、段階があります。
その段階の間で自制を利かせておけば、それ以上不幸になることは無いように思います。
あくまで「自制を利かせておけば」のお話ですよ。
1:パーソナル・スペースが侵食される
心理学の詳しい方に言わせれば、人には「パーソナル・スペース」と呼ばれる空間があるようです。
「単語くらい聞いたことある!」という人は、多いのではないでしょうか?
どんな空間なのかというと、簡単に言えば「『心理的に親しい人』以外を入れたくない空間」ということのようですね。
家族や友人、恋人などの、自分自身が「認めた」人以外は入れたくない空間ということでしょう。
男女や個人差によって、その広がり方には幅があるようですが、おおむね体から半径45cm以内とのこと。
本来この空間以内に入れるのは、当人が本能的に信頼を寄せている人のみです。
つまり「見ず知らずの他人」は本来であれば入ってきません。
もしも「見ず知らずの他人」に入り込まれてしまっては、当人としては警戒をして、緊張してしまうでしょう。
「電車とはそういうものだ」といって割り切れるか
ここでのポイントは「電車とはこういうものだ」と言って割り切れるかだと思います。
何の予備知識もなければ、人間の本能的にもパーソナル・スペースが侵食されまくっている環境に対して、恐れやら不安やらで胸がすぐにいっぱいになってしまうでしょう。
ですが前もって電車の中では、そうなることがある意味「当たり前である」と思っているだけで、だいぶ落ち着くことができるはずです。
もしくは電車通勤を続けて、そういったことに「慣れ」ることでも、この問題は解決することができるでしょう。
2:他人の行動が気になる
パーソナル・スペースの問題を心理的に解決できたとしても、もしかすると今度は「他人の行動」が気になってしまって、思わず「イラッ」としてしまう可能性があります。
「他人の行動」とずいぶんと漠然とした表現を使わせては貰いましたが、なぜそんな表現を使わせてもらったのかと言いますと、「他人の行動」とやらが多くのバリエーションで溢れているからです。
代表的なものを何点か確認していきましょう。
イヤホンの音漏れ
イヤホンの音漏れは、よく聞く「嫌な他人の行動」の一つですね。
他人から漏れ出ている音楽が、仮に自分の好きな曲と一致していれば、その精神的苦痛も比較的軽度に収めることができるかもしれません。
しかし多くの場合は、音漏れしている音楽は自分が知らない曲である場合が多いです。
また仮に知っている曲であったとしても、音漏れしている場合は音質が悪くて、ノイズのように聞こえてしまうかもしれません。
耳障りであることに変わりはありません。
物理的に利用される
説明の仕方が良く分からなかったのですが、自分自身のことを物理的に利用してくる人っていますよね。
例えば僕の肩にスマホを乗っけてきて、僕の肩をTV台のように扱ってくる人。
もしくは何らかの理由で吊革に捕まるのが嫌で、僕の方に体重を預けてくる人。
とにかく彼ら彼女らの都合のいいように、誰かが物理的に利用されてしまうことがあるわけです。
やられてくる側としては、イラッとしてしまうでしょう。
列に割り込まれたり、力づくで乗降車される
「列に並んでいるのに割り込んできた」り、「力づくで乗降車しようとしてきたり」する人たちというものもいます。
まぁ「乗降車」に関しては、多少力づくにでもやらないといけない場合というものもあるでしょう。
確かに力を込めなければ、電車に乗ったり、もしくは電車から降りたりすることがまともにできないわけですから、多少は仕方のないような気もいたします。
しかし物には限度というものありまして、明らかに暴行するかのように乗ったり降りたりする人が、中にはいます。
街中でやっていれば「暴行」として警察を呼ばれてもおかしくないレベルで、です。
列の割り込みに関しては、もう論外ですね。
列で待っていた人の中には電車に早めに乗って、座席を確保することを目的としている人もいることでしょう。
そのようにして待機をしていた人としては、怒り心頭のはずです。
3:舌打ちされる・舌打ちする
ここまで説明したものは、多くの人が日常で感じ、「グッ」と堪えている物事であるはずです。
まさか、そもそも論として上に説明してきたことを「感じていない」とかだと、はなはなだ僕もビックリです。
逆にその精神の作り方を教えてほしいくらいです・・・。(笑)
もしも堪えることができなかった場合は自分は、無意識のうちにその相手に対して舌打ちをしてしまうかもしれません。
相手の場合にしたって、きっと同じでしょう。
心地よくスマホを視聴していたら、横にいる人から舌打ちが飛んできた。
「なんなんだコイツ?」と思ってしまうでしょう。
当事者間の問題として発展するため、どちらが正しいかを話し合うことは難しいです。
ここでもしも双方の内のどちらかが「器が小さい」か、もしくは「精神的にいっぱいいっぱい」であった場合は、本格的な「争い」が勃発してしまう訳です。
4:争いの勃発
溜まっていたイライラが原動力となり、冷静になった時に思い返してみれば何とも「下らない」と感じるようなことを理由にして、「争い」は勃発します。
時には殺人未遂事件にまで発展してしまうことがあるくらいですから、あまく見ているわけには行きません。
止まらない「負の連鎖」
電車通勤をするということは、少なくとも2020年1月現在では上記のような危険性を伴っているということです。
それは紛れもない「負の連鎖」であると僕は思います。
「負の連鎖」を断ち切る方法
「負の連鎖」を断ち切るためには、方法が二つあるように思います。
一つは、繰り返しになりますが「自制」を利かせること。
二つは職場や居住などの「環境」を変えることです。
それらの具体的な方法については、今回は割愛させていただきます。
今回のテーマは「満員電車が及ぼす悪影響」なので。
家に帰ってからもトラウマとして残る場合も
あまりにもイラつき、特に舌打ちレベル以上にまで発展した「憎悪の感情」というものは、電車から解放された後でもあなたの精神を蝕み続ける場合があります。
僕も過去に起こったトラブルと言うものの中でも、あまりにも感情的になってしまったものに関しては時たま思い出します。
それは教訓にもなれば、飲みの席の話のネタにもなります。
かと言えば、また同じように満員電車で負の連鎖に放り込まれたときに、再び「憎悪の感情」として蜃気楼のように蘇ってきたりもします。
もしかすると、それは「トラウマ」になっているとでも言うべきかもしれません。
無意識に精神を蝕みだしたら危ない
トラウマとして無意識に精神を蝕みだしてきたら、危険です。
なぜならば無意識に蝕んでいるものを、自制させることというものは非常に難しいからです。
もしもそれができれば、世の中にある「ストレスを原因とする病気」の治療も簡単になっていることでしょうからね。
仮になんとか頑張ってやろうとしても、体は拒否反応を示すはずです。
そうでもしてしまえば、なにやら重篤なストレス起因の精神障害にでもかかってしまう可能性だって十分にあります。
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