満員電車でドア付近にいたが、道を空けるのを忘れてしまい、降りる人に「邪魔だ」と言われて突き飛ばされた人

2020年4月2日

満員電車に乗り込んだ時に、その場所が「ドア前」であった場合。

電車が駅についてドアが開くたびに、乗り降りする人のために道を空けてあげないといけなくなります。

このためドア前という乗車位置を「面倒な場所である」と感じてしまう人も多いかもしれません。

 

先日、おそらくはそのように(面倒だと)感じているだろう人を、僕は電車内で目撃しました。

ドア前にいたのですが、電車が駅に着いてドアが開閉するのにも気を配らずに、ずっとスマホに目を向けたまま。

 

そこに電車から降りする人が違づいて来て、その人に一言「邪魔だ」と。

そしてそのまま突き飛ばして降車していきました。

やられた人は、やった人の後ろ姿をずっと睨んでいました。

 

幸いなことに、争いは勃発しませんでした。

 

 



「邪魔だ」と言って突き飛ばすのは悪いこと

争いが起こってもおかしくないような局面でした。

ですが言われた側も「不愉快な気持ち」を押さえつけて、争いを起こさないように努めていた様子もありました。

 

「突き飛ばすこと」は悪いこと

さて、この問題。

もしも「どちらが悪い?」のかを議論するのであれば、皆さんはどうお考えでしょうか。

一概に「こっちが悪い!」と申し上げることは難しいと思いますが、いずれにせよ「邪魔だ」と言って突き飛ばすこと自体は、褒められることではありません

別に「邪魔だ」といって突き飛ばさなくても、電車を降りることができるからです。

「邪魔だ」といって突き飛ばすことには、第三者から見て悪意があるように感じました。

 

 

「邪魔だ」と言ってしまうのは、自分本位の考えに陥っている

電車の中でトラブルが起こる要因として、「乗客のそれぞれが自分に対して強いプライドを持っている点」が一つあげられると思います。

確かに、自分という存在は「人生の主役」。

自分という物語の「主人公」なわけですから、生きていく分にはプライドというものを持っていた方がいいように思います。

 

ですが電車の中だけは別だと考えた方がいいと思います。

特に朝の満員電車。

ただ輸送されるだけの存在に、プライドなどは余計です。

朝の電車内ではプライドなどは捨て去っていれば、余計な争いは生まれないはずです。

 

 

電車の中では「主人公」を演じるのを止めた方がいいかも

今回のケースは、そういったプライドを捨てきれていなかった人が、「邪魔だ」と言って突き飛ばしをかましてしまったのでしょう。

おじさんですが、確かに彼自身の人生にあいてはおじさん本人が主人公であることは間違いありません。

 

ですがその価値観を電車内に持ち込んでしまうと、目に映る全ての者が邪魔者にしか感じられなくなってしまうでしょう。

そうなってくるから、例えば電車から降りようとしたときに、ちょっとでも邪魔な人がいようものなら、わざわざ「邪魔だ」なんて攻撃的な発言をして、突き飛ばをしてしまうのです。

 

 

ドア前にいた人にも、問題はある

そうと言っても、ドア前にいた人に問題がなかったわけではありません。

 

 

ドア付近にいる人のマナー

駅構内でも啓発されていように、ドア付近にいる「乗客は一旦降りて、道を空けること」がマナーであるということになっております。

もちろん乗客が降りるために必要な空間が”十分に“確保されているのであれば、敢えて道を空けてあげる必要はないでしょう。

そういう状況で「邪魔だ」とか言ってくるような人がいたら、それは完全にただのクレーマーですね。

 

 

「邪魔だ」という言葉が相手に与える影響

余談になりますが「『邪魔だ』という言葉が人に与える影響」を考えてみたいと思います。

他人をイラつかせてしまうことは上にも示した通りですが、僕としては東名高速道路で煽り運転をした石橋和歩被告の例を思い出してほしいと思います。

 

 

「邪魔だ」は他人を「カチンと」させる

石橋氏による煽り運転を受けて停車を強いられた夫婦が、第三者の運転するトラックに後から追突され死亡した事故です。

両親は死亡しましたが、2人の娘は生き残りました。

両親を失ってしまったことを考えると素直に喜べない後味の悪い事件でしたね。

 

あの事件も元はと言えば、事故死させられてしまった父親の「邪魔だ」という一言から始まりました。

その言葉に「カチンときた」石橋氏が煽り運転をし出したという経緯があるようです。

高速道路上で停車させることは良くないですが、父親もわざわざ車の窓を空けてまで「邪魔だ」という一言を浴びせる必要は無かったんじゃないかなぁと思う一件です。

 

 



ドアの開閉に気を配る必要あり

ただし、「邪魔だ」といって吹っ飛ばす人が悪いことには変わりありません。

なのでそうされないように、ドア横に立っている人はドアの開閉に気を配っておく必要があります。

鉄道会社が「乗り降りする人のために道を空けるように」と啓発している以上は、利用客はそれに則った利用をしなくてはなりません。

 

 

ゲームや読書は途中中段せざるを得ない

スマホゲームや読書に夢中になっていると、ドアの開閉に気を配ることが難しくなってしまいます。

そのため、電車が到着して自分がいる側のドアが開閉する場合は、それに応じていったんゲームや読書を中断する必要性が生じてきます。

もしも「邪魔だ」と言われたり、吹っ飛ばしを食らっても気にならないほどに、それらの物に熱中することができるのであれば、何も気を配らなくてもいいのかもしれませんが・・・。

 

どうしても一時中断させたくなかったら、とことんゲームや読書に夢中になるしかないですね。

ただし夢中になりすぎると、他の乗客との別のトラブルに発展する可能性もその分高まります。

ほどほどに。

 

 

音楽を聴く場合は、ドアの開閉を目視確認

イヤホンなどで音楽を聴いていると、車内アナウンスを聞くことができなくなります。

そうなると、次に到着する駅では左右どちらのドアが開くのかが分からなくなります。

そのためもしもイヤホンで音楽を聴いていたいのであれば、目視確認をすることが必死になるでしょう。

 

 



「邪魔だ」と言われて突き飛ばされたことを喜んでみる

ちょっと変態的な考え方かもしれませんが、「邪魔だ」と言われて突き飛ばされたことを喜ぶことができるのであれば、有効打であるように思います。

以下に理由を説明していきます。

 

 

身を守ることができるため

もしも「邪魔だ」と言われて吹っ飛ばされた時に、嬉しそうにすることができれば、ある種の防御行動をとっていると言えるかもしれません。

「邪魔だ」といって突き飛ばしてくる人は、基本的には悪意のある攻撃的な姿勢をとっています。

人間というものは、与えた感情に対して同類の感情を示す生き物であると言われております。

例えば「好意的な感情」を示せば相手も「好意的」に、「悪意的な感情」を示せば相手も「悪意的」になるのです。

 

 

感情のズレが生む不快感で、身を守る

このため「邪魔だ」と言って吹っ飛ばしてくる人の心に「悪意的な感情」が宿っていれば、こちらの反応として「好意的な感情」で返してあげればコミュニケーションの流れを乱すことができます。

吹っ飛ばしてきた側としては、「こっちが悪意的な態度を示しているのだからあっちも悪意的な態度で返してくるだろう」と無意識に思っているはずです。

ところが悪意で接した相手から帰ってきた反応が、なぜか「喜んでいるような態度」であった場合・・・。

きっと「邪魔だ」という感情を押し殺す形で何か別の感情が、加害側の胸中を支配するはずだと思います。

 

ちなみによく駅や電車で起こる喧嘩の発端としては、この悪意的な態度に悪意的な態度で応えてしまったことによるもの。

「悪意 × 悪意 = ケンカ」です。

なので、悪意には好意で応えてあげましょう。

 

 

話のネタにできるため

「邪魔だ」と言われて吹っ飛ばされたことを喜べるようになると、話のネタとして、この出来事を扱えるようになります。

何も僕は「Mになれ」と言っているのではありません。

もしも自分の災難だったとしても、話しのネタにすることができれば単純に楽しいですよね。

嫌なことも楽しいことに変えることができるため、最高です。

 

 

ポイントは自らを客観視すること

ですが、そのように話のネタにすることが意外と難しくてできないという人も多いように思います。

話のネタにするためには、まず第一に自分の身に降りかかった出来事を客観視できるようにしておかなければなりません。

つまりは、自分の身に降りかかった出来事を、誰か他人の身に起きた出来事であるかのように捉えるのです。

そうすれば当事者として変に感情的にならずに、第三者目線で、それを笑いに変えることができるようになるのです。

 

どうすれば第三者目線で自分のみに降りかかった出来事をとらえることができるのか・・・

については当記事のテーマから逸脱するので、ここでは割愛させていただきます。