電車の中で大声で怒鳴り散らすような人は、心の中で泣いている
電車の中で大声で怒鳴り散らす人に遭遇することがあります。
このテーマについては、僕は当ブログでも何度か取り上げて、記事を記述させていただきました。
今回はちょっと変わった視点で、「電車の中で怒鳴り散らす人」のことを考察していきたいと思います。
電車の中で大声で怒鳴り散らす人は、心の中で泣いている
電車の中で大声で怒鳴り散らす人っていますよね。
なんで公共の場であるにも関わらず、あんなに感情をむき出しにしてしまうのでしょう。
僕としては、さっぱり理解ができませんでした。
ですが、ある時に見方を変えてみたところ、この考えもちょっと変わってきました。
(だからと言って怒鳴り散らすことを推奨しているわけではありません!)
電車の中で、怒鳴る人がいる理由
電車の中の人に、なぜたまに怒鳴りだすような人が出てくるのか。
その理由については別の記事で詳しく解説したものがありますので、ここでは詳細は記述いたしません。
その理由を一言で纏めるのであれば、「ストレスに過敏になっているため」というものになると思います。
「外的ストレス」に対して過敏に反応してしまう
もちろん細かいところを考慮すれば、他にも考えられるものはあります。
ですが、大きく纏めてしまえば「ストレスに過敏になっているため」と言えてしまうでしょう。
外的ストレスに対する反応が過敏になってしまっているため、ちょっとの刺激に対しても大げさに反応してしまうのです。
肩が多少ぶつかったり、足が踏まれてしまったり・・・。
普段であれば大して気にならないようなことでも、火山の噴火のごとく怒りだしてしまうのです。
赤ちゃんのように、本当はわんわん泣きたいのかも
生まれてすぐの赤ちゃんは、生き延びるためにわんわんと泣き出して、周囲にいる大人たちにその存在をアピールしますね。
乳児は大人に頼らないと、辛くて死んでしまいます。
乳児ではありませんが、「電車の中で怒鳴ってしまうような大人」にも、このことが当てはまるのではないかと僕は感じたわけです。
怒鳴っているのは「必死そうな人」ばかり
ちょっと煽り口調になってしまっているかもしれませんが、僕にはそんな意図はまったくありません。
ですが僕の経験上は、電車の中で怒鳴りだすような人はみんな共通して「必死そう」な様子を醸し出しています。
何に対して必死そうなのか、その詳細は分かりません。
仕事のことなのか、それとも家族やプライベートの事なのか・・・。
とにかく「必死そう」なんですね。
泣けないから「怒鳴る」
満員電車で怒鳴り散らす人だって、人間です。
喜怒哀楽というものだってあるでしょう。
ということは、「赤ちゃんのようにわんわんと泣きたい人」だって中にはいるはずです。
普段は穏やかな表情を見せて、観光客などでにぎわうようなダムだって、この前の2019年台風19号の時には満水になって、人々を脅かす存在になりましたね。
どんなに普段は穏やかである人の心にも、もしかしたら電車で怒鳴り散らしてしまうような要素が、あるんじゃないかと思います。
僕は最近はそのように考えだしました。
「満員電車」という極悪な環境が生む弊害
つい先ほど、「電車で怒鳴りだすような人はみんな共通して『必死そうだ』」という旨の文章を記述いたしました。
仕事面でも家族面でも、人を必死にさせてしまうものの原因の一つに、もしかしたら満員電車そのものの存在があるのではないかと思いました。
満員電車に、あらゆるもののパフォーマンスを下げられる
様々な人がぎゅうぎゅうに詰め込まれた状態で長時間過ごすことになる満員電車は、基本的には人々に「つらい」という感情を抱かせることが多いです。
もしも一日の始まりから気力を奪われて、電車内で嫌なことにでも巻き込まれてしまうと、自然と仕事や家庭にも悪影響を及ぼしてしまうはずです。
人生を、毎日を豊かにさせるためにも、極力そうならないように気をつけたいものです。
「満員電車に慣れることができるか」が鍵
満員電車も半年も乗っていると、「どうすれば気力を浪費させずに乗ることができるのか」という一種の技のようなものをなんとなく取得できるような気がいたします。
もちろん全員が全員、その技を取得できるかと言われば、それも限りませんが・・・。
この「電車に慣れる」技を取得できるまでは、電車移動というものは非常に苦しみを生むものになります。
僕に関しても、今ではそれなりに平気ですが、電車通勤しだしたころはつらくてしょうがなかったです。
つまり、何が言いたいのかというと、満員電車という劣悪な環境に対応することが遅れてしまえば、それだけどんどんと毎日が地獄に落ちていきやすくなるのです。
すなわちそれは、その人の仕事面や家庭面に悪影響を与え続け、その人にストレスを与え続ける脅威となるということを意味します。
電車の中で怒鳴っている人がいても、温かい目で見守ってあげよう
電車の中で怒鳴っている人がいたりすると、不快な感情に陥ってしまう人が圧倒的に多いと思います。
「うるせぇな・・・」みたいに。
人間の自然の反応として、そういう感情を抱いてしまうのは仕方のないことだと思います。
ですが、そういう反応してしまうと損をしてしまうでしょう。
以下に理由を書いていきます。
1:不快の感情がしばらく続く
一旦「うるせぇな・・・」と感じてしまうと、その感情はしばらく継続してしまいます。
目の前に発生している問題ごとの原因が「解決」しない場合が多いからですね。
なんというか、一種の消化不良のようなものを胸に残し続けることになってしまいます。
そうならないためにも、初めから他人の怒鳴りに対しては、感情を動かさないようにしたほうがいいでしょう。
2:怒鳴っている人も本当は怒鳴りたくない
怒鳴っている人だって、本当は怒鳴りたくないはずだと思います。
赤ちゃんが泣き喚かないと死んでしまうのと同じように、身が持たずに精神的に潰れてしまいそうだから怒鳴っているという場合が殆どだと思います。
まぁ、もしかしたら中には趣味が「人前で怒鳴ること」とかいう、特殊な人もいるのかもしれませんが・・・。
穏やかな心のまま過ごせる
とにかく、「なぜその人は怒鳴っているのか」という部分に、表面的ではない深いところまで考えてあげてみると、自然と自分がその人に対して不快感を抱くこともなくなります。
穏やかな心になれるでしょう。
反撃される可能性
仮に怒鳴っている人に対して敵意を向けたとして、その場の緊張感のある空気が解決されることは絶対にないと思います。
むしろ怒鳴っている本人の火に油を注ぐことになり、問題を大きく発展させてしまうことに繋がってしまうかもしれません。
怒鳴っている人は、既にその時点で「怒鳴らなければ心身が持たない」状況に陥っているわけです。
その状態をさらに刺激したところで、怒鳴っている人が大人しくしてくれるわけがないことは、明白ですね。
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